「懐かしいけれど、新しいもの」―今貂子+倚羅座舞踏公演 骰子の7の目

 (2003/9/27 @ART COMPLEX 1928

ライター/高以良潤子

私が舞台上で観たいと思うものは、共感できるもの。もっと観たいものは、自分を揺さぶるような何か新しいもの。それは、全く斬新であったり、どこか懐かしいけれど新しさが感じられるものであったりする。今貂子+倚羅座舞踏公演「骰子の7の目」は、「懐かしい」という感覚を私のなかに残した。
 白塗りをほどこした足や身体が、意志をもった人間の手足であるというよりは「モノ」としての存在感を放つ。白塗りされた表面だけが際だつのではなく、それらの手足や身体からは、しっかりとした重さが感じられる。ダンサーたちが、食べものをむさぼり食う。仲間とともに遊ぶ。仲たがいをする。動物のように、ときには座敷ワラシなどの小さな妖怪のように戯れる。今貂子が褌一枚で立ち、そして叫ぶ。いきものが、意志をもとうとしている瞬間のようだ。まがまがしい天使のように見えるサーモンピンクの衣装の女が4人連なる。そこに男が加わり、7人がおしくらまんじゅうのようにお互いを押し合いながらおしくらまんじゅうのように、海中のワカメのように身体をくねらせる――。
 「民話的」と形容できるような場面、あるいはコミカルな場面の連なりは、アジアに生活する人々の無意識に、共通して存在する風景のようだった。
現代に生きる私は、キレイな洋服と食べ物に囲まれ、無機質な生活をしているように錯覚しがちだ。しかし、実はその鮮やかな色彩を剥がせば、鬼気迫るものやどろどろしたものがその下に隠されているのではないか…。この作品は、そんな想像をめぐらすきっかけを与えてくれた。しかし残念ながらそれ以上の新たな発見がもたらされることはなかったように思う。次には、懐かしいけれども、確かに新しい、そう思わせる表現を見てみたい。