「踊りにいくぜ!批評文」―JCDN全国パフォーマンススペース間のダンス巡回プロジェクト「踊りにいくぜ!!Vol.2」

 (2001/10/10 大阪公演 @TORII HALL

ライター/高以良潤子

 大阪・難波のTORII HALLで行われた「JCDN全国パフォーマンススペース間のダンス巡回プロジェクト、踊りにいくぜ!Vol.2」というダンス公演を観た。全国各地で活動しているダンサーがそれぞれの拠点以外でも公演を行う試みで、会場は全国で8つ。

 ダンスが言語を用いず、作り手と観客、双方向のコミュニケーションの手段であるといわれて久しい。ダンスが介するコミュニケーションはさまざまな種類のものが存在する。たとえば、観客が作り手から発せられたものを受け取ることができる幅の大きさ。たとえば、作品が観客にコミットしてくるレベルの違い。

 今回の4つの作品はすべてソロダンスだが、方向性、表現しているもののレベルがそれぞれ異なり、興味深かった。東京の前田紀和、天野由起子の作品は大阪の安川晶子、名古屋の山田珠美の作品と比べてより概念的なレベルでの表現、またストーリー性が強いものであり、安川晶子、山田珠美の作品はより肉体の持つ表現力に重きが置かれていたといえる。

 2番目の前田紀和の作品「身体の絵」にはしっかりとしたメッセージが感じられた。具象ではないが、観ているこちらを侵食しそうな、挑発しているようなメッセージが、多分に作者の意図的に切り取られて舞台上に現出した世界からこちら側へと送られる。前田本人が客席に座った状態からサザンオールスターズの耳慣れたナンバーがかかり、まわりの観客と掛け合いながら、即興的な動きで舞台へ登場してゆく。いわゆる「つかみ」で観客を笑わせ引き込んだ後、正面の舞台では「俺様」とでもいうべき、開放感、君臨、といった言葉がイメージされる世界が現出する。まず笑いで引き込み、かつくっきりとしたメッセージ性を持つために、作品が観客に食い込んでくるが、逆にいえば見る側に選択の余地はあまりない。多分に演劇的要素を含み、かつ毒気があるのは、前田の所属する「伊藤キム+輝く未来」を彷彿させる。

 次にメッセージ性が強いと感じたのは、4番手で同じく東京の天野由起子の作品「CONPEITO」。オレンジ色のワンピースにおかっぱ頭、きみどりの毛糸を首にからみつかせ、コンペイトという題で「甘さと痛さ」「不安と快楽」を表現した。「女の子」としての等身大で、やや屈折した彼女自身の世界観が現出した。前田のそれと比べると、この世界観は意図、作為が混じったものではなく、彼女自身が世界を見ている、そのあるがままを切り取ろうとしたのが特徴であるだろう。異なり、時には反する2つの「甘さ」と「痛さ」、「不安」と「快楽」との間の葛藤、ジレンマといったものが重なり、せめぎ合う。少女性と女性性、成熟への願望と嫌悪、自由への渇望と恐怖、永遠の青年期への憧れ。それらが澱のように溜まっていってしまうラストには、現実の生活で埃が溜まっていくようなリアリティがあり、それに絡め取られていくような恐ろしさを感じさせて印象的であった。

 上の2作品と比べて、安川晶子と山田珠美の作品は具体的なメッセージ性や、概念的な部分が遠いレベルでの試みであった。山田珠美の作品「Ship」は、「『私がここにいる』ことが不思議で、(自分が)生まれるまでの旅路を想像して作った」という作品。体・精神の奥深くに存在する「流れ」、ストーリー性に沿ったものではない「流れ」が、文字どおり流れるような動きによって形作られていく。身体が、何らかのメッセージを読み取ろうとする対象ではなく、まさに表現そのものとして舞台上にあるように感じられた。軽く、伸びやかな動きを見ていると、素直に気持ち良く、爽快だった。

 1番手であった安川晶子の作品「解放と快楽その4」は、山田とは異なった、暗めのイメージ。居心地が悪いような、ノイズの混じった音楽から始まり、自分をとりまく外界の中からもがき、解放へと向かう。山田の動きが軽いというイメージを与えるならば、安川の動きは、身体が重力と筋肉を持っていることをありありと感じさせ、違った意味で肉体の圧倒的な存在感があった。しかし、内なるケオティックなものの表現としては、少し美しすぎる解釈、もしくはたいへんに都会的でドライな解釈であるように思えた。美しくコーティングされた分、非常に薄いガラスごしに作品を見ているような感覚を覚えた。

 表現がより概念的な場合、コミュニケーションは作り手→観客の一方向に偏りがちになるが、逆に、くっきりとしたメッセージ性は作品をわかりやすいものにし、笑いも観客が作品やダンサーを身近に感じる仕掛けとして機能する。概念から遠いところにある表現は、より純粋に芸術的なものへ続いているが、ともすれば観客がコミュニケーションの糸口をつかみにくい危険もあるだろう。今後の、それぞれのレベルでの作り手←→観客のより濃いコミュニケーションを期待したい。