随筆|作品評
「ASYL 」を見て
荒木基次(アートディレクター)
京都の黒谷(くろだに)といえば、京都の中でもなかなか不思議なスポットでもある。思えば、ここで田中旭泉さんの琵琶で『平家物語』も聞いたし、味方玄さんの『敦盛』追悼の能と叡山の声明も見た。おまけに今年は「法然上人800年大遠忌」だ。大河ドラマでは「春日局」まで出てくる。東日本大震災でのつながりを言えば会津藩士の菩提も弔っている。いろいろ思いを巡らせながら、烏丸丸太町からタクシーに乗った。
昼間の篠つくような雨の話題になって、運転手がしゃべりまくる。うっとうしいなと思いながら相づちを打っていたら、「もう大丈夫でっしゃろ、夕焼けみたいですから」と言った。首を回すと重くたれ込めた灰色の雲の向こうに茜色の空が一筋、刷毛で履いたように見えていた。
金戒光明寺の山門を入って、タクシーはさらに上の塔頭へ。「永運院」の前には小さな案内が出ていた。案内の方が立っていて、門の中のさらに坂の上の入り口を示される。坂を上りながら振り返ると、眼下に遠く、京都タワーがそれこそ小さなお灯明のように煌めいていた。
今回の公演タイトルは「ASYL」。アジール=避難所と言う意味は駆け込み寺を掛けてあるという。作・演出・映像は飯名尚人さん、ダンスが寺田みさこさん、そして三味線・唄が西松布咏師匠だ。
「お寺でダンス? 江戸唄でモダン・ダンス?」という、似合うかどうかの不安というか疑問は、すでにパンフレットのビジュアルで、私の中では解消していた。布咏師匠と寺田さんの凛とした立ち姿でそれは充分に納得していた。問題は具体的な限られたスペースの中で成立するのかどうかだった。廊下に沿って締められた障子と座敷に横長に設定された観客席とで奥行きはあまりない。だが、これが逆に見事な三層の空間演出で昇華されていく。
道行きもそうだが、駆け込み寺までの「道中」が横長の舞台で見事に表現されていた。そして閉め立てられた障子に映される映像と向こう側のダンスをシルエットで示される演出。そして開け放たれた障子の向こうには枯山水のお庭。ダンスと唄と映像の三種が見事に調和して、物語空間をたっぷり味わうことが出来た。
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小唄「一日を」
端唄「嘘とまこと」
端唄「伽羅の香り」
歌沢「お月さん」
端唄「きりぎりす」
小唄「水鶏くいな」
長唄「都風流」
めりやす「高尾 もみじ葉」
ジャズ「What’s New?」
ジャズ「You’d be so nice to come home to」
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障子に沿って長々と敷かれた緋毛氈の中央の演台は、ショッキング・ピンクが混じったような緋色のシャギーで覆われている。最初は布咏師匠の小唄から始まる。曲の合間には、若い人への親切だろうか、珍しく布咏師匠の「吉原」や「煙管」の解説が入る。花街も色町も花柳界も苦界も、本や絵の中の世界になってしまった。いまや煙管はおろか、タバコさえも消えようとしている。映像の中の寺田さんのタバコの吸い方が美しい。淡路恵子さんの本の広告に「女性に取ってタバコは第6本目の指」とあったが、綺麗にタバコを吸う女性の姿も少なくなった。寺田さんはなかなかのチェーン・スモーカーらしい。(ちなみに永運院には、古刹には珍しく「喫煙場所」があった。有難いことだ。)
「高尾 もみじ葉」では、「煙草呑んでも 煙管より 喉が通らぬ 薄煙」とあるが、三味の音と黒いドレスの「ヴォーギング」と煙草の白とショッキング・ピンクのシャギーが、時代を超えた色模様となっていた。そしてヘレン・メリルの「What’s New?」から、布咏師匠の「You’d be so nice to come home to」へ移行して行き、時代が溶けあった男女の恋愛物語へと、観客はすっかり「うつつ」の世界へ連れて行かれた。
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障子に映し出される「老松や孔雀」、そして「泳ぐ金魚」がゆらゆらと遊女の生きざまを暗示させる。枯山水、フィラメントの電球、シャギーと、時代の違う質感が違和感無く溶けあって行く。時代を超えた男女の色模様というより、「駆け込む」しかなかった女の人生、幸せな日々へ戻れない女の情感をたっぷり味わえた作品だった。
情念の 炎を秘めて 濡れ紅葉 雪破
流されて 雨を恨むや 紅一葉 雪破
錦秋に 濡れてさみしや 京の宵 雪破
(2011年11月/美紗の会たより第71号2012年1月発行より転載)
荒木基次(アラキモトツグ)
アートディレクター
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