随筆|作品評

あの日とその日のASYL

高橋砂織(yummydance/振付家・ダンサー)

 ある日、facebookにアップされた、寺田みさこさんの写真に引き寄せられた。
泣いているのか、泣いた後なのか、なんともいえない表情でタバコを片手にこちらをじっと見ている。ドキッとさせられるこの写真に魅かれて、京都まで足を運んだのが、昨年の3月。初音館スタジオでのデモンストレーションだった。地下にあるスタジオに、横長で観せる舞台空間。ダンスと三味線という不思議な組み合わせ。西松さんが登場し、お話が始まる。はじめての経験で一瞬、どうやってみれば良いのか、とまどう。しかし、だんだんダンスを観ているというよりは、お話を聞きながらダンスを観るという流れに引き込まれていく。録音されたみさこさんの声が流れる。その声に親近感を感じる。しかし、ダンスはなぜか遠い印象。小唄の西松さんの、とつとつと話す様子は、時に安堵感、時に危機感を感じさせる不思議な印象だったのを思い出す。チンピラ風の男の登場。少しとってつけたような印象、良い意味での違和感なのかなんなのか。この男の役割は。。。色々考えながら見るうちにあっという間に時間がすぎていく。走る、逃げる、涙、たばこ、女、チンピラ風の男、唄。。。いくつものキーワードが残る。違和感のような謎も残る。
 アフタートークで「大掛かりな照明セットではなく、映像で照明の効果を出すことができないかと思案した。」と飯名さんは言っていた。そういえば、音も照明も全部一人でやっていた。襖も持ち込んでいた。建物ごと、作品にしようとしているような意気込みを感じた。すごいことがはじまりそうな予感。その後、本公演はお寺で上演するというので、また次への試みに心がざわざわした。

 11月の京都に再び訪れた。
 寒い縁側に金魚鉢が置かれてあり、悠々と金魚が泳いでいた。寒いことなど、ひとつも感じないように、上品に自由に。その傍らで暖かいお茶をいただく。おもむきのある廊下を通り、会場となる部屋に足を踏み入れる。お寺というだけで、少しぴりりとする。ここに足を踏み入れること自体がダンスのはじまりだったように思う。想い起こせば、京都に来ること自体がこの作品の出発点に後戻りしているような気がする。前回と同じく、横長い空間でのダンス。右から左へと時間軸が移行して行く。西松さんが現れ、ピンクのファーの絨毯の高台に座る。きちんとした着物を着て、きちんと座り、凛とはじまる。昔の話を小唄という手法で、この時代に語り継ぐ。また以前のように安堵感と危機感を同時に感じさせる唄がはじまった。
 次々と障子を空けていくチンピラ風の男の存在は、以前見た時よりもはっきりとした印象が残る。この男はそのうち殺されるんだろうな、と思った。障子の向こうには、ダンサーの影が見え隠れ。障子がスッと空くたびに、冷たい空気が侵入してくる。カラダのパーツが見え隠れする。今回も録音された声に身近な距離間を感じる。時間の経過と共に、だんだんと距離間が近づいてくる。手足の長いみさこさんのダンスは、ひと動きする度に、色んな感情の側面を魅せる。凛とした表情は、何者も寄せつけない強さを持ちながらも、ひとときも目が離せなくなる。しかし、その表情に感情は感じられない。そんな中、ぎりぎりのところで生きているカラダからダンスがこぼれ落ちる。
 金魚が障子一面に現れるシーン。多数に増殖された金魚のダンス。それまでの生身の一人の身体と重なり合う、わがままに泳ぐその姿は、気高く、奔放にも見える横長の障子に映し出された、金魚の映像は、やがて円のように感じられ、まるで自分が金魚に取り囲まれているような感覚に陥る衝撃的なシーンのひとつだった。「うふふ」と笑っているような金魚を、ただ見るという中で、自分の生きている時間を再確認する。指に挟まれたタバコを持つ手、逆さまにずり落ちて行くダンサー。色んな想いの中、吸った煙草の数は無数。「そんなにタバコ吸ったら死にますよ〜」と耳打ちしたくなる。映像の中の燃えている風景、選ぶ本、宙に浮かぶカラダ、誇張されたチンピラ、涙顔。物、人ひとつひとつにドラマをみる。「うん。映画みたいだ」と感じる。終わると、また、もとの風景にもどる。全てが終わった部屋の中に虫の声が残る。虫の声は、一瞬、今の季節を忘れさせる。あ…生音じゃないんだ。と、我にかえる。季節さえも錯綜する。空間自体が作品となっている。

 ダンスを見ているという感覚ではなく、江戸のその時代へ一歩足を踏み入れたような感覚。昔の時代のことを、語り継ぐだけでなく、ダンスと生音と映像作品として、伝えていくということは興味深い。想像でしか、膨らませることのできない時代の世界観を、こうして表現するということ。又、お寺に行き、生でそれを味わえるというのが、良い。お寺という異空間で、時代背景の違う作品を観て、まるで何かの境界線の瀬戸際に自分が存在しているようだ。なんだか煙たい。作品を観て衝動的にむずむずするのとは少し違って、理解しながら感覚が右往左往するような。自分とは遠い所にある時代背景ではあるが、女という共通項。映像の中のダンサーみさこさんは、泣き、逃げ、感情を表に出す。目の前にいるダンサーみさこさんは、無表情に踊る。そのカラダ自体は小唄の中の女とリンクしているのかもしれないが、そこに感情は感じられない。そんな表情の生のダンサーを見ている中から、今この時代、ココにいる自分をはっきりと認識した。向き合う現実、まぎれもない自分。自分の中の封印されていたASYL。
きっと自分は自分という世界の中で、ひらひらと気ままに泳ぐ金魚なのだと実感する。
そんな自分と向き合う作品ASYL。

(2012年2月)

高橋砂織
yummydance/振付家・ダンサー
99年松山を拠点にyummydance結成。
メンバー全員が振付家という全国的にも稀なスタイルで作品制作や活動を行う。
上演は、国内のみならず、ドイツやNYからも招聘を受け、枠にはまらないダンス作品は各地で話題を呼ぶ。近年その異端児精神の勢いは増々加速しており、2010年、高知市民100人に振付けをし、街中に非日常な光景を創りだす。(主催:高知県・財団法人高知県文化財団)
08年には、「DANCE×MUSIC!VOL.3」(主催:JCDN)にて、トウヤマタケオ楽団との共同制作「手のひらからマウンテン」を上演。(山口・京都・松山・大坂・東京)本作品は、飯名尚人監督により、ビデオ作品としてリメイクされ、現在DVDにて好評発売中!
http://www.yummydance.net/