随筆|作品評

裏の裏

縄岡好人(音響コンサルタント)

 アジール公演の西と東を通しで観た。
 近年の我が国は個人主義や成果主義が強調され、ものごとの一元論的な捉え方や見せ方が主流となり、日本の風土で培ってきた日本人独特のものごとを対比で見るという能力がだんだんと衰退してきているように感じていた。

 そんな中、アジール公演は、その見せ方が、明と暗、自由と束縛、動と静といったものを対比で見せる二元論的見せ方がされており、忘れがちであった日本人独特の見せ方を想い出させてくれた。


 公演会場はお寺。舞台空間は和室・廊下・庭。これらは、それぞれ障子・ガラス戸・庭木・塀で仕切られ多層の結界を構成している。多層の結界は和室に設えられた客席の位置によって見える範囲が異なり、表情も変わる。観客は座った席によって個々に作品を自由にイメージして楽しむ場となっていた。

 結界では情念のドラマが、映像と唄と三味線とダンスのコラボレーションで展開していく。それらのセッションは、ある種の微妙なズレ感をもって進行していった。邦楽の間を思わせるつかず離れずというか、、計算されているようでぴたっとはまらない、言うに言われぬズレ感なのだが、これがなんともアーシーでブルージイなのだ。
 エンディングで西松布咏さんが「you’d be so nice to come home to」を唄った。「Lover come back to me」と遊女が情夫に耳元で告げているような情念と艶だ。ふと、ヘレンメリルのLPがリリースされたとき、英語の直訳は「私はあなたのいる家へ帰りたい」だけど、最初に付けられた邦題は「帰ってくれたら嬉しいわ」だったなぁ、と昔のことを想い出した。そのとき頭の中で、ゆっくりと今まで見てきたシーンがリピートし始め、結界の反対側となる庭側からガラス戸越しに舞台を見ている自分がいた。

 牢獄の鉄格子のように見える障子の桟越しに憂鬱そうな表情を見せていた寺田さんが、白い壁のように見える障子紙をバックにゆったりと微笑んでいた。逃げても逃げてもその前方には常に鉄格子が存在するようだった寺田さんが、今度は待っていた恋人を見つけたように駆け寄ってくる。障子に映った煌々と昇る満月は、こちらでは昇らず闇の夜だった。漆黒の闇の中に灯明がガラスに反射して無限の虚像を作っていた。
 そしてもみじ葉の高尾は・・・煙草の煙のような生きから究極のアジールに辿り着き永遠の自由を得たはずの高尾が「you’d be so nice to come home to」と唄っていた。

 女は何から逃げたのか?女のアジールとは?謎は深まるばかりだった。

(2012年1月/美紗の会たより第71号2012年1月発行より転載)