随筆|作品評
上本竜平(AAPA/演出家)
「ASYL」東京公演が行われた池上実相寺の最寄駅は、都営地下鉄浅草線の終着駅にあたる西馬込駅だった。関東各地の私鉄と接続する東京の地下鉄本線に、折り返すしかない終着駅は数えるほどしかない。「馬込」という地名も気になって調べてみると、狭い窮屈な場所の意味。入り組んだ狭い谷、奥に引っ込んだ地形を表している。
地下のホームから地上に出たときは既に夕暮れだった。駅から大きな国道1号線に沿って歩き、その道から左に入るところまで来てその先を見ると、急な坂と入り組んだ小道が続いている。寺院がいくつも並ぶ場所らしく、別の寺院と場所を間違え、坂の上から大きな墓地を回り込んで下り、ようやく会場の池上実相寺にたどりついた。
門構えを潜り抜けるとすぐ左に、真新しい印象の建物が見え、その入口に公演の受付があり、奥の間に通される。部屋の中に入ると、畳の大広間のほとんどを埋めるように、観客が座っている。舞台になるのは、障子の前に細長く取られたスペースのみだろうか。横長に並べられた、畳用の簡易座椅子と座布団につめ合わせて座る観客たち。地域の集会に居合わせたような気になる。広間という場所にいると、身内的な雰囲気が生まれてくるのはなぜだろうと思う。ここは寺だよなあと、どことなく所在なさげになりながら座る。
客席に着くとすぐに公演の始まりを知らせる挨拶が入り、まず江戸時代に存在した「縁切り寺」の研究をしている大学教授が紹介された。「女と男の縁切り作法」と題された教授による講義は、もらった時間はいつもよりだいぶ短いが時間内に収まるように話します、と注釈を加えて30分ほど続き、それが終わると「舞台が始まるまで15分の休憩です」との声。外はすっかり暗くなっていた。
客席に最初に置かれていた小冊子を見ると、作・演出の飯名さんによる文章で、「縁切寺」との出会いから、舞台を創作していった過程が細かに書かれていた。休憩の間に読み終える。DANCE×MUSIC×MOVIE!と掲げられた企画で、ダンス・音楽・映像がひとつも登場しないまま、開演から45分が過ぎていた。
ここまでに受け取ったことは、会場とその場所に着くまでの道、上演作品の背景などが解説された講義、冊子の言葉がすべてで、その後の舞台本編にはまだ何も触れていない。ただこの後、現れては消え、浮かんでは消える姿を最後まで一貫して描いていく本編に刺激されたのは、ここまでの時間だったと思う。
手もとの表裏の表情をくっきりと残しながら、区切られた場所に積み上げていく踊り。唄の音色と語り口、それぞれに重なるように差し入る映像を通じて、「逃げること/逃げなかったこと」が、空間に徐々に寄せられていく。観る側の想像を、このひとつの方向にゆっくりと刺激することに意識が向けられた本編は、寺院に足を運ぶような日常を送っていないこと、あるいはそんな自分でも足を運ぶ場所があることを願うことと、重なってくる。それは、普段の自分という漠然としたものではなく、本編が始まる前の、いまここに来て座っていた自分のことを思い起こさせた。
これは、ASYLの「寺院で公演を行う」という試みがもつ効果としての話で、舞台としては無くてもいい話かもしれない。それは同時に「劇場での再演も観たい」という気持ちを生んだ。
舞台が、そのもの以外への気づきをひきだすものになること、それ自体にひきつけるものになること。その違いを兼ねるものとしての舞台の深さを、ASYLから感じた。
(2012年4月)
上本竜平
AAPA 演出家
1980年、東京生まれ。大学卒業後の2004年に、建築家と協働で「仮設劇場になる海の家」を企画。日常と地続きで行われる舞台に興味をもち、劇場ではない場所での舞台を企画するAAPA(アアパ/Away at Performing Arts)を立ち上げ、横浜を拠点に活動を始める。2007年まで外部の様々な劇団・振付家と協働した後、企画に応じて集まるメンバーとダンスパフォーマンスの創作を開始。以降、全作品の構成・演出を行い、横浜で「COVERS」(2009/大野一雄フェスティバル)、「スタンド」(2010/黄金町バザール)などを上演。この他にも、国内各地(岐阜、柏、淡路島、立川、つくば、神戸)で活動している。
2010年より、「上本竜平/AAPA」として劇場での上演作品の創作も始め、「踊りに行くぜ!!Ⅱ」(企画:JCDN)に公募選出され創作した『終わりの予兆』は、2011年に鳥取・福岡・伊丹・東京の劇場を巡演した。
http://aapa.jp